毎年秋と春に来るお彼岸ですが、2020年の日付をきちんと把握していますか?
お彼岸は春分の日や秋分の日を中心にして決まるといいます。
お彼岸にはおはぎをお供えすることで定番となっていますが、その理由について知っていることは、ほとんど無いのでは?と思います。
今回はこれらの疑問に対して、答えをまとめていきます。
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2020年の彼岸入り・彼岸明け
春
春のお彼岸の期間は、春分の日を中心に前後に3日間あり、合計で7日間あります。
2020年の春分の日は3月20日(金)なので、2020年春の彼岸入りが3月17日(火)、彼岸明けが3月23日(月)です。
なお、真ん中に置いた春分の日や秋分の日を「中日(なかび、ちゅうにち)」と呼びます。
彼岸の初日は「彼岸入り」、彼岸の終日を「彼岸明け」と呼びます。
秋
秋のお彼岸の期間は、秋分の日を中心に前後に3日間あり、春と同じように合計で7日間あることになります。
2020年の秋分の日は9月22日(火)なので、彼岸入りが9月19日(土)、彼岸明けが9月25日(金)です。
おはぎをお供えするのはなぜ?
お彼岸にはおはぎやぼたもちをお供えすることが定番となっていますが、これには考えられるいくつかの理由があります。
- 小豆の赤色が邪気をはらい、魔除けになる
- お餅が五穀豊穣に通じる
- 昔は甘いもの(砂糖)が大変貴重だったので、大事な日や大切な人にふるまうものだった
<1>
おはぎやぼたもちのあんこには、「小豆」が使われます。
小豆は赤い色をした豆ですが、大昔から赤色には魔除けの力があると信じられていました。
祝いの席などでお赤飯として出したり、砂糖と混ぜてお供えされていたのです。
邪気をはらう食べ物として、ご先祖様への供養の気持ちとしてお供えされていました。
<2>
お餅は五穀豊穣に通じることから、日本の行事にはかかせないものでした。
そのため、あんこと合わせてお供えに使われていたのです。
<3>
江戸時代の初期では、砂糖は超の付く高級品でした。
江戸時代後期には黒糖や和三盆糖が多く生産するようになり、日常でも食べられるようになります。
しかし、お彼岸におはぎをお供え物として使用した当初は、普通では口にできない貴重な食材だったのです。
この頃の甘いものと言えば、さつまいもやはちみつ、干し柿や水飴など。
さつまいもで奮発するレベルでしたので、おはぎのような高級お菓子は大切な人や大事な日、大きな節目に振る舞うものだったのです。
お彼岸は大切な日だったため、魔除けの力があると言われた小豆には、高級品である砂糖を使用してあんこを作り、ご先祖様にお供えしました。
邪気をはらってくれるようにと、家族の無事を祈ったと言います。
大事なお彼岸には、小豆のいわれと高級品だった砂糖を使うことで、お供え物としてふさわしい形になったといいます。
おはぎとぼたもちの違いは?
現在ではあんこで包んだお餅のことを、春彼岸、秋彼岸、どちらでも「おはぎ」と呼ばれるのが普通となっています。
しかし正しくはそれぞれで分けられています。
- 春彼岸:ぼたもち(こしあん)
- 秋彼岸:おはぎ(つぶあん)
「ぼたもち」=こしあん、「おはぎ」=つぶあん
江戸時代のこと、おはぎのあんこの材料となる小豆が入ってきました。
もともとは漢方薬として中国で使用され、日本に伝わり、昔の人はこの小豆を健康食品として様々な工夫をして食べていたそうです。
小豆は春の4月~6月に種をまき、収穫は9月~11月にされます。
秋のお彼岸は9月にあり、ちょうど小豆の収穫時期とかさなるため、新鮮な小豆であんこを作り、おはぎを作ったのです。
とれたての小豆は皮が柔らかいので、小豆の収穫時期と重なる秋のお彼岸ではつぶあんとして使用され、春のお彼岸まで寝かせた小豆は皮が固いので、この部分をとり、こしあんにしてぼたもちを作ったのです。
さて、なぜ春では「ぼたもち」と呼び、秋では「おはぎ」と呼ぶのか、これにもきちんと理由があります。
「ぼたもち」と「おはぎ」の名前の由来
春=「ぼたもち」、秋=「おはぎ」と呼ぶのは、「季節の花」が共通して名前がついています。
<ぼたもちの由来は「牡丹」>
春分の日に食べられるぼたもちは、春に咲く「牡丹」の花から来ていると言われています。
ぼたもちを漢字で書くと「牡丹餅」となるのでわかりやすいですが、3月のお彼岸に咲く牡丹に見立てて、丸々として似た形にしたのです。
<おはぎの由来は「萩」>
春分の日に食べられるおはぎの由来は、秋に咲く「萩(はぎ)」の花から来ていると言われています。
おはぎは萩の花が咲き乱れている様子を小豆餅に見立て、細長く俵のような形をしています。
おはぎも漢字で書けば「お萩」となるので、花に由来していることがわかりやすくなります。
江戸時代の中期に編集された「和漢三才図会(わかんさんさいずえ)」には、
「牡丹餅および萩の花は形、色をもってこれを名づく」
と記されています。
小豆の赤色と牡丹・萩の色が同じであること、牡丹は大きく丸い花だからぼたもちも大きく丸くなりました。
萩は小さくて細い花なので、おはぎも小さく細長くなったのです。
現在ではこうした由来を意識して、ぼたもちやおはぎの形を作られていることはほとんどありませんが、このような意味があることを知っておいても損はないでしょう。
その他の「ぼたもち」と「おはぎ」の説
ぼたもちやおはぎの由来には、牡丹や萩の花から来ている他に、いくつか説があります。
- もち米が主に使われているのが「ぼたもち」、うるち米が主に使われているのが「おはぎ」
- 小豆の餡を使ったのが「ぼたもち」、きな粉を使ったのが「おはぎ」
- 「ぼたもち」は、「ぼたぼたした印象」からとする説
<地方での説>
- こしあんを使ったのが「ぼたもち」、つぶあんまたは煮小豆をそのまま使ったのが「おはぎ」。逆のこともあるようです。
- 中の状態での区別。完全に餅の状態まで作られているのを「ぼたもち」、米の粒が残っているものを「おはぎ」。
- 2、3口くらいで食べられる小さいものをおはぎ、大きいのをぼたもち。
本来であれば春がぼたもち、秋がおはぎですが、逆で販売しているところもあるようです。
「ぼたもち」と「おはぎ」は同じものを指し、名前が違うだけとする説も存在します。
個人的には、「おはぎ」というとご飯の粒の状態が残っている印象があります。
それに見かけるほとんどのおはぎはつぶあんで出来ているんですよね。(私のところだけかな?)
夏と冬のおはぎの呼び方
基本的に春がぼたもち、秋がおはぎと呼びますが、お餅と小豆のあんこでできたスイーツには、実は夏と冬にも名前があるのです。
夏ではぼたもちのことを「夜船(よふね)」と呼びます。
ぼたもちは、本来の餅と作り方が違っており、もち米などを蒸したり炊いたりした後、軽くついて丸めてつくるものです。
つまりは普通の餅のようにぺったん、ぺったんといった、つく音を出さずに作ることが出来ます。
正月とは違い、近所の人には、いつぼたもちを作ったのかわからないため、
- 「搗き知らず」⇒「着き知らず」
と言葉が変化して、夜は暗くて船がいつ着いたのかわからないことにかけて、「夜船(よぶね)」という名前がついたそうです。
でも、ぼたもちを「夜船」って言うことはあまりないですよね…。
冬はぼたもちのことを「北窓(きたまど)」と呼びます。
これは由来が夏と同じで、
- 「搗き知らず」⇒「月知らず」
と言葉が変化して、月知らず、つまりは月が見えないのは北側の窓であるからと、「北窓(きたまど)」という名前になったそうです。
おはぎを食べるのはいつ?
お彼岸は7日間あるものですが、7日間すべてで食べなければいけないわけではありません。
おはぎはもともと大きな節目や大切な人、大切な日にお供えするものですので、正確には春分の日・秋分の日に食べるものです。
お墓やお仏壇にはお彼岸期間に一度だけおはぎをあげれば良く、毎日は必要ありません。
ご先祖様にはゆっくり食べていただいたら、下げて一緒に頂きましょう。
いつ食べるのかを知っておくことも重要ですが、気持ちを優先することが大切とも言われます。
たとえ家に仏壇が無く、お彼岸にどうしても実家やお墓参りにいけなくても、先祖への感謝を持っておはぎを食べることが大切です。
お彼岸とはそもそも何か?
「彼岸(ひがん)」はもともと仏教用語で、サンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多)」が語源と言われています。
パーラミターは到彼岸を指し、煩悩からの解脱や悩みを超えて涅槃(悟りの境地)に至ることを言うのです。
涅槃(ねはん)は釈迦が悟りの境地に達して死んだことから、迷いや煩悩で燃える炎が消え、悟りの境地という意味になったと言われます。
逆に「此岸(しがん)」という言葉があり、これはこの世や現世の世界のことで、欲や煩悩にまみれた世界をさします。
あらゆる苦悩に耐え忍ぶこの世界をサンスクリット語で「サハー」といい、「忍土(忍耐や我慢をする所)」という意味をもちます。
中国語では「娑婆」と書き、世間のことを「しゃば」ということがあるのは、ここから由来しています。
此岸にいる者は6つの修行(六波羅蜜)をすることで彼岸に行くことができるとされています。
<六波羅蜜>
- 「布施(ほどこす)」
- 「持戒(つつしむ)」
- 「忍辱(しのぶ)」
- 「精進(はげむ)」
- 「禅定(心身を静める)」
- 「智慧(学ぶ)」
十億万仏土先の西方には阿弥陀如来(阿弥陀仏)がいる浄土があると言われています。
太陽が真東から真西へ沈む春分の日・秋分の日を中心として、前後の3日間を含めて合計7日間を「彼岸」と呼び、この期間に修業に励むのがよいとされているのです。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言う理由
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がありますが、どうしてこのように言うかご存じですか?
彼岸は春分の日や秋分の日にあたり、暦の上では春と秋の折り返し地点になります。
春分と秋分では昼と夜の長さがほぼ同じになります。そして春分以降は昼が長くなり、秋分以降は夜が長い状態になります。
「秋の夜長(夜の時間が一番長い季節)」とも言いますね。
- 「春分の日」は春の折り返し地点であり、この日をすぎると昼が長くなっていく。だんだんと寒さが和らいで暖かくなる。
- 「秋分の日」は秋の折り返し地点であり、この日をすぎると昼が短くなっていく。だんだんと暑さが和らいで涼しくなる。
春分と秋分では温度や気候こそ違うものの、残った暑さや寒さもこの時期を境にだんだんと和らいでいくため、「暑さ寒さも彼岸まで」という風に言われるようになったのです。
お彼岸のお供え物
おはぎやぼたもち以外にお供えするものですが、お彼岸のお供え物にはとくに決まりはないため、好きなものをお供えしましょう。
- お菓子
- お酒
- 果物
- 地方の特産品
- 故人が好きだったもの など
故人やその家族に喜んでもらえるものが良いでしょう。
故人がお酒を好むならお酒を、果物がいいと言うなら季節の果物をお供えするといいですね。
3月ならイチゴやはっさく、9月ならぶどうや柿、梨やリンゴなど、実りの秋はたくさんの果物が旬を迎えますね。
お彼岸のお供え物は気持ちが大切ですが、仏壇のあるご家庭なら、香りのいいお線香などを差し上げるのもいいでしょう。
のしをつけるときは水引を黒白(関東)、または黄白(関西)で結び切りを選びます。
表書きは「お供え」または「御供」、下部にフルネームを書きます。
墨は薄墨にすることもありますが、とくにこだわる必要はありません。
お墓参りに必要なもの
- 数珠
- お供え物(菓子、フルーツ、お酒、故人が好んだものなど)
- マッチやライター
- ロウソク
- 線香
- お花
- お供え物を置くための半紙
お墓参りのお供え物も同様に好きなもので構いませんが、お墓にそのまま置いておくと悪くなりますので、基本的にお花以外は持ち帰りになります。
持ち帰るのが気が引けるようだったら、お寺へご供養としてお渡しできるよう、包装で用意する手段もあります。
本来であればお供え物はご先祖様と分けあっていただくものですので、分かち合う気持ちで美味しく食べても供養になります。
<お墓を掃除する場合に必要なもの>
- ゴミ袋
- バケツ
- ぞうきん
- 歯ブラシ
- ほうき
- たわし など
水をくむ桶などはお墓で貸出していることがあります。
↓きちんと掃除するならこちら、お盆の記事になりますが参考になるかと思います。
お彼岸にお墓参りをする理由
秋分の日と春分の日には、太陽が真東からのぼって真西にしずみ、昼と夜の長さがほとんど同じになる日です。
先に書いたとおり彼岸は悟りの世界をさし、煩悩や欲に満ちた世界は此岸と呼びます。
彼岸は西に、此岸は東にあると言われているので、太陽が真東から昇って真西にしずむ春分の日と秋分の日は、2つの世界が一番通じやすくなると考えられ、お墓参りをするようになったのです。
お彼岸の時期に咲く「彼岸花」
彼岸花は花が終わってから葉っぱが出てくるという普通とは逆のパターンで育つ花です。
「彼岸花」という名がつけられたこの花は、ちょうど秋のお彼岸の頃に咲き始めるため、この名が付いたとされています。
彼岸花は別名「曼珠沙華(まんじゅしゃげ、まんじゅしゃか)」という名前で呼ばれていますが、これはサンスクリット語で「天上の花」という意味をもっています。
サンスクリット語では「manjusaka」と書き、これが音写されて「マンジュシャゲ、マンジュシャカ」と呼ばれます。
おめでたいことが起こる兆しには、天から赤い花が降ってくるという仏教の経典からきているそうです。
彼岸花の葉が出ないうちに先に花を咲かせる「先ず咲き」が仏教と結びついて、ここに「法華経」を文字を当てたものと考えられます。
韓国では彼岸花のことを「相思華」と呼び、花と葉っぱが一緒に出ないことから「葉は花を思い、花は葉を思う」という、双方が思う意味が語源となっているようです。
彼岸花は学名を「リコリス(Lycoris)」といい、ギリシャ神話の女神Lycorias(リコリアス)からとられたといいます。
彼岸花は昔の非常食だった
彼岸花の球根には毒があるのといっしょに、でんぷん質が豊富に含まれています。
毒は水溶性であることから水洗いをすることで抜けるため、昔の人は彼岸花を洗って毒を抜き、非常食にしていたのだそうです。
食料がつきて、最後の最後の非常食として用意されていた花でした。つまりは簡単に食べられては困るため、
「彼岸花には毒があるから触っては駄目」
とうかつに寄り付かないようにしたとのことです。
人々の命を守るために大切な花であったため、身近なところに植えられていたのです。
彼岸花の毒はどんなもの?
彼岸花の球根にはアルカロイド(リコリンやガランタミンなど)という有毒成分が多く含まれています。
間違って食べてしまえば吐き気や頭痛といった症状が現れ、重症であれば中枢神経の麻痺を起こして死に至ることもあります。
しかし「水晒し」という技法を使えば毒を抜くことができ、良質のデンプンを得ることも可能です。
初めに臼などの容器に球根を入れてつぶし、水でよく洗って水溶性の有毒成分を取り除きます。
この後流水によって数日間ほど水にさらすことで、完全に毒が抜けるのです。
水で十分に毒が抜けた彼岸花は、乾燥させることで保存食となります。
彼岸花の別名
彼岸花は非常に多くの別名を持つ花で、茨城や埼玉では「狐花(きつねばな)」と呼んだり、福島や大分では「死人花(しびとばな)」と呼んだりもします。
他にも「捨子花(すてごばな)」「天蓋花(てんがいばな)」「幽霊花(ゆうれいばな)」、神奈川では「じゅずばな」、山口では「毒花(どくばな)」など、数えきれないくらいの呼ばれ方があるようです。
<別名>
- 地獄花(じごくばな)
- 幽霊花(ゆうれいばな)
- 剃刀花(かみそりばな)
- 雷花(かみなりばな)
- 痺れ花(しびればな)
- 狐花(きつねばな)
- 死人花(しびとばな)
- 捨子花(すてごばな)
- 天蓋花(てんがいばな)
- じゅずばな
- 毒花(どくばな) など
すごくたくさん呼び方がありますが、どれを見ても、彼岸花はあまりいい印象を人々に与えていない感じですね…。
彼岸花のよくない印象はどうしてついたのか
彼岸花が毒をもっていることからも、不吉に思われる理由の1つとしてあるようです。
彼岸花は昔、モグラを退治するために使われたといいます。
モグラは田んぼやお墓を荒らすので、モグラが彼岸花の球根を好んで食べて死んでしまう習性を利用して、彼岸花を意図してあぜ道や墓地に植えたのです。
もともと彼岸花の根茎は強いので、田んぼのあぜの作りを強くするためという理由もあるそうです。
普通、お花というのは、開花するときに葉っぱを備えているものですが、彼岸花には葉がひとつもありません。
その状態で茎の上部に急に花が咲いて、しかも毒々しいほどに真っ赤な色であったのです。
彼岸花の妖艶な赤色は、昔の人にはけばけばしく感じてしまい、日本人にとっては好ましくはなかったといいます。
彼岸花は動物に荒らされないようお墓にたくさん植えられました。
土葬していた時代は、遺体を動物に掘り返されるのを防ぐのが理由としてあり、彼岸花の根っこの毒を動物は嫌うといいます。
彼岸花は1日目で目が出て、2日目で20cmも成長し、5日目にはつぼみが赤くなり、7日目には開花してしまいます。
こうして少し見ない間に突然あらわれることから、彼岸花は幽霊としても例えられたのだそうです。
このようにして彼岸花によくない印象がついてしまったのは、たくさんの理由があります。
毒を利用してお墓に植えられたことや、茎の頭に赤く色づいた花がつき葉っぱがない外見、成長のスピードが早いといった、様々な理由が重なって不吉な印象がついてしまったのかもしれません。
彼岸花の通常とは異なった生態は昔の人には珍しく、毒をもっていることも合わさって、恐怖や危機、災害を思わせる別名がたくさんつけられたのです。
でも、毒といった理屈を抜いても、彼岸花を見ると少しドキッとする気がします。
見た目のせいでしょうか?単純に綺麗なので私は好きなんですけどね。
彼岸花の花言葉
昔の人々にはあまり好まれなかった赤い彼岸花の花言葉は「情熱」、「独立」、「再開」、「あきらめ」、「悲しい思い出」、「思うはあなた一人」、「また会う日を楽しみに」
…といった意味を持ち合わせているのだそうです。
意外と不吉過ぎる花言葉がありませんね。
彼岸花は赤い印象的な花の色から、「情熱」や「思うはあなた一人」といった花言葉がつけられています。
彼岸花全体での花言葉は「思うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」「転生」「再会」「情熱」「悲しい思い出」「あきらめ」「独立」。
ちなみに黄色い彼岸花の花言葉は「追想」「深い思いやりの心」「悲しい思い出」、白い彼岸花は「思うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」です。
白ならポジティブですね~。
また、彼岸花には迷信もあるようです。
彼岸花は花の姿や色が炎を思い起こさせることから、「彼岸花を家に持ち帰ると火事になる」と言われていたり、
毒をもっていることから「彼岸花を摘むと手が腐る」「彼岸花を摘むと死人がでる」などと言われているのです。
花言葉は悪いものではないのですが、どうしても死や不吉といった印象が根強いので、贈り物などに使われることはほとんどありません。
春分の日と秋分の日の意味
毎年訪れる春分の日と秋分の日は、それぞれ祝日としてきちんと意味があります。
春分の日
春分の日は1948年に制定された国民の祝日で、その趣旨は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日。
毎年、だいたい3月21日前後に訪れ、この日を境に日がだんだんと長くなっていくのです。
秋分の日
秋分の日も1948年に制定された国民の祝日で、その趣旨は「先祖を敬い、召された人たちをしのぶ」日。
こちらは毎年だいたい9月23日前後に訪れ、秋分の日を境にだんだんと日が短くなっていきます。
こういった大切な意味がこめられた2つの日ですが、春は作物の豊作を願い、秋は収穫に感謝をする意味もこめられています。
彼岸入りまとめ
春と秋のお彼岸はそれぞれ、春分の日と秋分の日を中心にして、前後に3日間ずつの期間があります。(合計で7日間)
つまりは春分の日・秋分の日の日付が分かればすぐにお彼岸の期間も知ることができます。
2020年の場合、春は彼岸入りが3月17日、彼岸明けが3月23日。秋は、彼岸入りが9月19日、彼岸明けが9月25日です。
秋のお彼岸の時期になると彼岸花を見かけるようになりますが、そういえばうちの祖母もあまり彼岸花をよろしく思っていないようでした。(^^;)
私にしてみれば少し変わってるけど綺麗な花だな~って認識なのですが、お墓などの不吉なものと結びつくと、良いイメージにならないのは仕方ないかもしれないですね。
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